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独立を決意したきっかけ

私が独立を決意したきっかけは東日本大震災でした。その当時、私は病院で勤務していました。この日は、たまたま科長と主任が出張中で、栄養科の事務所にいる病院側の栄養士は、新人の栄養士と私の二人だけでした。地震発生から余震も続く中、調理室では悲鳴が上がっていました。そんな中で、私は顔では冷静を保ちつつも、背中に汗をびっしょりとかきながら、栄養科の職員の安否確認を行わなければいけませんでした。ちょうど分食の食事の時間でしたので、停電中の病棟の階段を何往復もしながら、配膳を行いました。ガス管の確認がとれるまで、安全のために職員は調理室から休憩室へ避難してもらいました。地震がいつ起こるかもわからないため、私は夕食が提供できるかどうかの確認作業に追われていました。

その後、科長と主任も無事に戻り、私自身の家族の無事が確認できたのは、地震発生から約6時間は経っていました。この日1日で体重が4kg落ちていたことを今でも覚えています。

父を亡くしてから、私は母と二人暮らしでしたので、母の安否は大変気がかりでした。電話もなかなかつながらず、やっとつながった電話の母の声は、震えていて力がなく、電話の相手が本当に自分の娘なのか、はじめは信じてもらえませんでした。

その後、科長のご主人が車を出してくださり、自宅に着いたのは翌日の朝でした。山形出身の母は、連日流れるテレビのニュースで東北の人々の被害を目の当たりにし、夜も眠れなくなり、食事中も涙を流して食べ物ものどを通らなくなりました。そして、母は一人になることが怖くなっていきました。

医療従事者は患者さんのことを第一優先に考えなければならない職業です。ただ、私がこれまで仕事に打ち込んでこられたのは家族の支えがあったからこそです。私は徐々に家族との時間を作らなければいけないという思いが強くなっていきました。同時に、こんな気持ちでこの仕事を続けていては、病院や患者さんに失礼にあたるのではと葛藤の日々が続きました。そして、最終的に母と一緒の時間を優先したいと決意し、時間が拘束される病院の仕事を辞め、フリーランスになりました。

収入面などの苦労

フリーランスとして独立すると、定期的な安定収入は難しくなります。収入が多い月でも必要経費以外は、出費は控えることが大事かなと思います。やはり、収入の安定が最優先なら、常勤が安心ですが、別に優先するものがあるならば、フリーランスになることは一つの方法かと思います。

フリーランスに求められること

フリーランスになると、仕事の幅が広がるのと同時に知識も幅広く求められます。あらためて勉強をして新しい知識を身につけることも大切になってきます。その一方で、私の場合は仕事をお受けする時は、あらかじめ自分のウイークポイントを伝えるようにしています。相手に短所を知っていただいた上で、業務を進めるほうがスムーズにいくように感じます。

現在はコラムの執筆や、相談者から送られてくる食事記録の写真を見ておこなう栄養指導など自宅でできる業務を増やしていくようにしています。母にとっては娘が自分の犠牲になってしまってと思っているところもあるようですが、通院や今までできなかった日中の散歩など、母と一緒の時間を過ごせるということは、なにものにもかえがたい時間です。

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WRITER

フリーランスの管理栄養士の仕事のリアル

小山 幸子

現在は病院、クリニックでの食事サポート、調理実習のほか、食コラムの執筆等。 『この食事が、人生で最後の食事かもしれない』を、モットーに業務に携わっている。 メカオンチのあがり症。 高校卒業後、会社員として8年間勤務後、26歳で栄養士養成校へ。 教員より年上の生徒だった経験を持つ異色の栄養士。 毎日書道会 会友 (雅号:小山 桃花)

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