大学卒業後、給食委託会社と病院で働いた後、フリーランスの管理栄養士として活躍しているやまもとよしみさん。現在は特定保健指導や企業の栄養指導を行うかたわら、食卓を豊かにし日本の伝統的な食文化も伝える食育プログラム「おちゃぶ教室」を主宰していらっしゃいます。やまもとさんがどのような思いから、「おちゃぶ教室」をはじめたのか、今後の活動についておうかがいしました。
身をもって学んだ栄養の知識の大切さ
私の父は企業の産業保健チームで事務の仕事をやっていました。そのため、小さなころから医師や看護師さん、保健師さんなど医療関係の方と触れる機会が多くあり、私もなんとなく将来は医療関係の仕事につくというイメージを持っていました。
管理栄養士という資格を知ったのは父の紹介でした。高校生の進路を決めるタイミングで、薬剤師とも迷ったのですが、食で健康になるということにより強く魅力を感じたため、管理栄養士を目指すことに決めました。
管理栄養士を選んだ動機には、子どものころの食と栄養に関する体験も大きいと感じています。私の地元は田舎でしたので、親戚が集まって大勢で食卓を囲んでごはんを食べるという機会がよくありました。農繁期になるとみんなで稲刈りをして、ごはんの準備のために、畑から野菜を採ってきたり、おやつ代わりに畑の野菜を食べたりしました。そして、祖母は季節の行事ごとをきちんとする人で、意味はわからずにお手伝いをしていたことも覚えています。このような幼少期の経験が、食にまつわる仕事を選んだきっかけになったのではないかと思っています。
そして、もう一つ学生時代のダイエットの失敗も大きな動機になりました。無理な食事制限をしてしまって、重度の貧血になってしまったのです。その影響もあって、部活動のパスケットボールでは、どんなに練習をしても体力がつかず、自分の努力が結果に結びつかないという苦い経験もしました。きちんとした栄養に関する知識を持ってダイエットをしないと、大変なことになってしまうということを身をもって学びました。この経験がきちんと栄養について学びたいと思うきっかけとなりました。
給食委託会社から病院へ
管理栄養士になるため、4年制の大学に進学し、卒業すると給食委託会社に就職しました。職場は人も少なかったため、献立作成や発注などの事務の仕事とともに、厨房で調理の仕事もやらなくてはならず、とても大変でした。最初は何をしていいかもわからず、調理師さんの仕事を見ながら、現場で覚えていきました。とても厳しい職場でしたが、かえって自分のためになるいい体験ができたと思います。
勤めていた給食委託会社と委託元との契約が切れるタイミングで、そのまま残るか他に行くかを選ぶことになり、私はもう少し臨床の場で修行がしたいという思いから、病院に転職しました。転職先の病院には給食委託会社が入っていなかったため、給食の仕事もやりながら、栄養指導や糖尿病教室なども担当していました。
体を壊して、フリーランスに
病院を辞めてフリーランスになったのは、働きすぎで体調不良になったことがきっかけです。フリーランスになってからは、市役所の仕事をはじめたことをきっかけにいろんな仕事を紹介してもらえるようになり、次第に仕事の幅が広がっていきました。現在は特定保健指導や企業での食事指導などを行なっています。
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