社員食堂で調理を学び、病院や介護老人保健施設で管理栄養士として働いてきた若林由香里さん。給食の現場で働く管理栄養士ならではの苦労もあったそうです。それをどのように乗り換えたのか、専業主婦から仕事に復帰し、これからの将来の目標についておうかがいしました。
病気の人が元気になる食事を提供したい
最初は薬剤師を目指していましたが、進路を考えていた高校二年生の時に祖父が胃がんで入院しました。祖父の病院で提供されていたミキサー食を初めて見て、ショックを受けました。その時に、はじめて管理栄養士という仕事を知り、病気の人が元気になるような食事を提供したいという気持ちから、管理栄養士の資格が取れる大学に進むことを決めました。
さかのぼって考えてみると、私は給食が大好きで、小学生の時には給食のおばちゃんになりたかったんです。まだ子どもでしたから、毎日おいしい給食が食べられたら、幸せだなあくらいの気持ちでしたが。また、両親が共働きでしたので、早いうちから台所に立つことが多く、夕食には一度帰ってきて一緒に食事をする父親、忙しい中でもきちんとした食事を作ってくれた母親から食の大切さを学んだことで、食への関心が高くなったのでしょうね。
私は末っ子だったんですが、両親からは「あなたは親と早く死に別れることになるのだから、1人で生きていける力をつけなさい。」とずっと言われていました。ですから、何か自分の武器となる資格を取りたかったというのも、管理栄養士になった理由の一つですね。
社員食堂で叩き込まれた調理の技術
大学卒業後は、糖尿病を発症した父の世話をするために、実家に戻ることになりました。しばらくして、父の状態が安定したので、近所の社員食堂で栄養士として働くことにしました。
その時の厨房の調理師の方がとても熱心な方で、「オムレツもちゃんと作れない栄養士は駄目だ。」と言って、オムレツの作り方や料理の盛り付けの仕方などを丁寧に教えてくれました。そこでは料理の技術をたくさん教えていただくことができました。その社員食堂では、1年ほど勤務し、東京に戻りたいという思いから、東京にある給食委託会社に転職しました。
新しい施設のオープンを2回経験
給食委託会社での仕事は、365日3食の食事の提供をしなければならず大変でしたが、厨房で働く年配のパートの方からは、孫娘のようにかわいがっていただき、わからないところがあっても、やさしく教えてもらうことができました。給食委託会社で働く栄養士は、人間関係で苦労することが多いみたいですが、私の場合は職場の人間関係に恵まれていたと思います。
その後、上司が新しく病院のリニューアルオープンに関わることになり、そこに管理栄養士として配属されることになりました。その時には厨房で使用する鍋などの調理器具の購入から関わることができました。勤務時間も長く、朝早くから夜遅くまで働き、半年ほどは休みも十分に取れず、大変でしたが、とても楽しかったのをおぼえています。不思議なことに、どんなに忙しくても、管理栄養士の仕事は大変だと思ったことはないんですよ。調理を含め、管理栄養士の仕事にやりがいを感じて楽しく働けるのです。
病院の運用が安定してくると、違う分野での管理栄養士の経験が積んでみたいという気持ちから、新規に開業する介護老人保健施設の開発準備室に転職しました。建物もまだ建築途中でしたので、厨房のシンクの大きさなどの設備の設計から携わることができました。とても責任の重い仕事でしたが、自分で調理設備や食器を選ぶことができ、出来上がった厨房には非常に愛着をおぼえました。
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